◆◆◆◆◆◆ 前編 ◆◆◆◆◆◆
私は私立探偵ではない。 まだ、さほど有名ではないけれど、れっきとしたミステリ作家だ。本名はソフィア・ホワイトホースだが、ソフィー・ホワイトというペンネームを使って小説を書いている。 世の中には、ミステリ作家は探偵の真似事ができると思っている人達がたくさんいるようで、ファンレターに相談事を書かれることがある。ファンからの相談事をまるっきり無視するわけにもゆかず、いつもは当たり障りのない返答をしたり、近くの探偵事務所や弁護士に相談するよう勧めたりすることにしている。大抵のファンは自分の行動に不安を感じていて、後押しをしてもらいたいだけなのだ。 だが、今回、相談事を持ち込んできたのは見知らぬファンではなく、私の幼い頃からの友人の一人だった。
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「お願いよ! ソフィー! ジョンを尾行して!!」 閉めるのを忘れたらしい台所のドアから入ってきた友人のエイミーが、私の枕元で叫んだ。
ここ数日は修羅場だった。 原稿を締め切りに間に合わせるために三日徹夜して、今日の朝一番で編集室に持ち込み、家に帰って一通り掃除をし、ようやく眠りについたのは十一時だったのだ。
「彼が浮気してるみたいなの!」 エイミーが私を揺さぶった。
――やめてよ!首がもげるじゃないの!!
「ちょっと待って! シャワーを浴びる時間をちょうだい。その間に濃い紅茶でも入れて待ってて」 シーツの下からいやいや手を伸ばして目覚まし時計を取る。今はまだ昼の十二時だ。明日の朝まで寝るつもりだったのに……。 私は足を引きずるようにしてシャワールームに向かった。
――さっき、エイミー、何て言ったかしら? ……そう、たしか、……浮気。ジョンが? 冗談でしょ?
ジョン・レノックスは、三ヶ月前に結婚したばかりのエイミーの夫だ。そして、エイミーと同じく小学校時代からの私の友人でもある。ジョンは子供の頃からエイミーに夢中で、他の女の子に目移りしたことなんかなかった。彼はなかなかのハンサムで優しい心の持ち主ではあるが、万事において優柔不断だ。そんな彼が、エイミーに関してだけは一貫していた。根気強く他のライバルを蹴落としてエイミーのボーイフレンドの座をものにしてから、十年以上になる。 三ヶ月前の結婚式の時など、あまりの嬉しさに牧師の前で泣き出していた。本人は泣いてないと言い張っていたけど、涙が零れ落ちたのを何人もの人が目撃している。 そのジョンが今頃になって、しかも新婚三ヶ月で浮気するなんてとても考えられない。
一方、エイミーは昔から、ふわふわの綿毛のような金髪と可愛らしい顔をした妖精のお姫様のような子供だった。自分の青光りする真直ぐな黒髪と浅黒い肌と見比べて、どんなにうらやましかったことか。 ジョンが夢中になったのもわからないではない。男にも女にも守ってやらなければと思わせる繊細さをエイミーは持っていた。それは二十四歳になった今でも変わっていない。
エイミーの入れた火傷しそうなほど熱い紅茶を飲みながら話を聞いた。 「ここ一ヶ月ばかりジョンの帰りが遅いの!」 「どう思う?」という表情でエイミーがこっちを見る。 「何時ごろ? 夕飯は家で食べるの?」 「大体、七時ごろには帰ってきて夕飯は家で食べるわ。でも、前は五時半には帰ってきたのよ」 「遅くなることに対してジョンは何て言ってるの?」 「残業があるんだって」 「だったら、そうなんでしょう。」 「私だって初めはそう思ってたわ。でも、この一週間ほど、家に帰ってきたら、スーツから香水の匂いがするのよ! しかも毎日違う香りなの!」 「……」 「それに彼は嘘をつくと口の端がぴくぴくするから、すぐにわかるのよ。絶対に嘘をついてるわ!」
――確かにジョンは昔から嘘をつくのが下手だった。
「だから、あなたに調べてもらいたいの!これでも締め切り明けまで待ったのよ。」
――もう少し待って欲しかったわ。それに大体そういうことは興信所に頼んだ方がいいと思うんだけど。
「ジョンに限って浮気ってことはないと思うけど……。もし、もしも、仮によ? ジョンが浮気していたとして、あなたはどうしたいの?」 「私? ……考えたことなかったわ。そうね、絶対、別れないわ! 私はジョンを愛してるんですもの。長所も短所も全部ひっくるめて全部好きなの。相手の女と最後まで戦うわ!」
いつの間にか、私はジョンの尾行をすることを約束させられていた。とりあえず、これで夕方まではゆっくり眠ることができる。 エイミーは夕方にモーニングコールならぬイブニングコールをかけて私を起こすと言い置いて、やっと帰ってくれた。
私はつかの間の平和に身をゆだねた。
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