Greenery Park

6月.傘と濡れた瞳

HOMETOP

ダーク

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「私ね、メリル・ウィンターズに遺産を遺すことにしたわ!」
 大叔母のローズマリー・モーガンが宣言した。

 ダーク・オニールは夕食のステーキから目を離し、黒い瞳をしばたたかせた。ダークは驚いた。別に遺産が無くなることを心配したわけではない。ダークには建設業者として自分で築いた財産がそこそこある。問題は、ローズマリーに遺産と呼べるようなものがないということだ。ローズマリー自身のものというと、綺麗だが高価とはいえない食器や衣類や身の回りの品々、清楚に生活していれば不自由しない程度の金ぐらいなのだ。

 ローズマリーは若くして未亡人となった。同じ頃、兄であるダークの祖父ロバートが妻を亡くし幼い子供たちを抱えて困っていた。ロバートはローズマリーに助けを求めた。ローズマリーはロバートの家に移り、兄と甥っ子たちの世話を引き受けた。時が経ち、ダークの父を筆頭に、甥たちは各々独立して都会へと出て行った。ダークが祖父ロバートの住むここグリーナリーの町で建築会社を興したため、この家はダークに遺された。ロバートが亡くなったあとも、ローズマリーは引き続きダークと一緒に住むことになり、今に至っている。

 こんな……『遺産』なんて言葉を口にするとは、ローズマリーはどこか具合が悪いのだろうか? こうして一緒に話している今はとても健康そうに見えるが。それにしても、メリル・ウィンターズとは誰だろう? ローズマリーの友達にそんな名前の人がいただろうか? まさかローズマリーからわずかな老後の資金を搾り取るような女ではないだろうな? 人のいいローズマリーは前にもだまされたことがある。メリルとかいう女もまさかその手合いでは……? 同じ屋根の下に住んでいながら、状況がさっぱりわからないとはなんてことだ。

 ダークは、ここ数ヶ月、仕事の忙しさにかまけて、ローズマリーとあまり顔をあわせなかったことを後悔した。

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 翌日、ダークは仕事を早めに切り上げて、会社から直接グリーナリーの図書館を訪れた。昨晩、ローズマリーはメリルが図書館の司書であることをもらしたのだ。いや、もらしたというよりは、むしろ、メリルの話題ばかり聞かされた感がある。ダークはメリルの存在が気になりだし、つい図書館に来てしまったのだった。

 図書館の受付には、若い赤茶色の髪の女性が座っていた。名札には『ニコラ・ブラウン』と書かれている。
「メリル・ウィンターズに会いたいのですが。大叔母のローズマリー・モーガンのことで」
 ダークが尋ねると、ニコラはダークとメリルが知り合いだと思ったのか、微笑みながら絵本の並んでいる児童書コーナーを指して言った。
「メリルなら今、『お城』にいます。でも、もうじき終わると思いますよ」

 児童書コーナーの奥には、背の低い壁で囲まれた一角があった。なるほど中世の城壁……『お城』に見える。アーチ型の入り口には薄いカーテンが引かれ、一人の女性を子供たちが取り囲むように座っているのがうっすらとわかった。どうやら子供たちに童話を読み聞かせているらしい。職業柄、ダークが『お城』の構造に気を取られ、黒い髪を無意識のうちにかき上げていると、『お城』から拍手が起こり、次々に子供たちが飛び出してきた。最後に、女性が絵本を持って出てきた。

  ダークは驚いてその女性を見つめた。つややかな栗色の短めの髪に濃く長い睫毛とはっとするような青い瞳。白く透明感のある肌には皺一つなく、頬はみずみずしい桃のようにふっくらとしている。どこかで見たことがある顔のような気もするが思い出せない。おそらくダークよりいくつか年下だろう。 ローズマリーの友達というには若すぎる年齢だ。少なくともダークが予想していた年配の司書ではない。

「君がメリル? メリル・ウィンターズ?」
「はい、そうですけど。……あの、どちらさまでしょうか?」
 心地のよい声と穏やかな物腰に、ダークはぼうっとなった。
「はじめまして。……ダーク・オニールです。ローズマリー・モーガンの……」
「あら! はじめまして! メリル・ウィンターズです。ローズマリーからいつもお話は伺っています」
「今日はその……」
「ローズマリーに本の返却を頼まれたのかしら?」
「いや、そうではなく……」

  簡単な用事を作るといった機転すらきかなかった自分の頭を、ダークは心の中でののしった。一体、メリルに何をどう話せばいいのだろう。ダークは単にメリルの人柄を確かめ、メリルがいい人そうならば、ローズマリーに異変がないか聞きたかっただけであった。

「その、君から見て、最近のローズマリーの調子はどうかな? 」
 ダークはなんとか話を切り出した。
「私の知る限りでは、とてもお元気そうですよ。週に二度は図書館まで歩いていらっしゃいますから」
「そうか、それはよかった。……君とローズマリーは図書館で知り合ったのかな?」
「いいえ、もともと私の祖母とローズマリーが友人だったの。よくおしゃべりするようになったのは、この数ヶ月かしら」
「なるほど……」
二人の関係はなんとなく掴めてきたが、このままでは肝心の問題に辿りつけない。
ダークは思い切って尋ねてみることにした。
「君、ローズマリーから遺産のことを聞いているかい?」
「え? 遺産? 何のことですか、それ?」
 きょとんとしたメリルの顔に、遺産を狙う守銭奴の女というダークの疑惑は小さくなった。昨日のローズマリーの発言を説明すると、メリルは首をかしげながら考えた。
「ちょっとしたアクセサリーか何かをくれるつもりで、冗談を言ったのではないかしら?」
 確かにそれは一理ある。いかにもローズマリーの好きそうな冗談だ。そうでなければ、ローズマリーの記憶が曖昧になってきている可能性も考えなくてはいけない。

▲▽▲

 ダークが玄関の扉を開けると、ローズマリーがいつものように迎えに出てきた。
「お帰りなさい、ダーク。 あら、メリルじゃないの! 一緒にどうしたの? あなたたち二人、知り合いだったのね?」
 ダークは図書館の仕事が終わるのを待ち、メリルにも一緒に話を聞いてもらうことにしたのだった。
 「ただいま、ローズマリー。メリルとは……えーと、今日、仕事で図書館に行ったんだけど、そこで会って意気投合したんだ。夕食を一緒に食べに行くことになったんで、その前に寄ったんだよ」
 ダークの後ろでメリルが驚いたように息を呑むのが聞こえた。焦って予定外のことまで言ってしまったようだ。ダークがそっと振り返って見ると、メリルは笑いをこらえながら、わかったというように頷いた。
「こんばんは。お邪魔します、ローズマリー」
 メリルと食事に行くのは悪くない考えだ。後で本当に誘うことにしよう。ダークは頭にメモをした。

 ローズマリーは二人を居間へと通した。どうやら先ほどまで本を読んでいたらしい。ローズマリーはソファに駆け寄ると、伏せていた本にしおりを挟み、慌ててクッションの下に押し込んだ。二人に座るよう勧めると、お茶を準備するために歩き回り始めた。

 さて、ローズマリーにどうやって切り出したものか。ダークはメリルのとき以上に言葉に詰まってしまった。ダークは膝に飛び乗ってきた猫をなでながら、話の接ぎ穂を見つけようとした。

 その時、お茶の用意を手伝いはじめたメリルが前かがみになった。ダークはまたしても、その顔に見覚えがあると感じた。雨……濡れた瞳……、記憶の断片のようなものが頭を掠めたが、どうにも思い出せない。

「メリルにどこかで会ったことがあるような気がするんだけど……」
「え? そ、そう? 今日が初めてだと思うけど」
 ダークにじっと見つめられて、メリルはどもった。
「あら、ダーク。そんな口説き文句は今時流行らないんじゃないの?」
 ローズマリーは少女のようにころころと笑った。
「いや、口説いているわけじゃなくて、本当に見たことがあるような気がしたんだよ!」
 ダークは赤くなりながら焦ったように言った。
「それなら、私が図書館にいる時かしら?」
「あの図書館には、ここ何年も行ってないなあ……」
「メリルとよく話すようになったのはここ数ヶ月のことで、それまでは図書館かジェマの家で……ジェマというのはメリルの亡くなったおばあさんのことよ、私たち幼馴染だったの。……ほんのちょっと顔をあわせるぐらいだったわよね?」
 ローズマリーの言葉にメリルが頷く。
「あっ! ジェマのお葬式よ。あなたに車で迎えに来てもらったじゃないの!」
 ローズマリーが手を叩いて叫んだ。

▲▽▲

 二月の冷たい雨の中、ジェマ・ウィンターズは、グリーナリーの町外れにある墓地に埋葬された。一月に比べると雨の日が少なくなったとはいえ、まだまだ油断の出来ない空模様が続いていた。

 埋葬が終わり、ウィンターズの家でのもてなしが終わる頃、ダークはローズマリーを迎えに行った。ダークが門の前に停めた車から降りてウィンターズ家の玄関へと向かい始めると、雨が急に激しさを増した。玄関にたどり着く頃には、ダークの髪も服もずぶ濡れになっていた。ダークとローズマリーが激しい雨に困っていると、見送りに出てきた女性が傘を貸してくれた。うつむき加減のその女性の白い顔は蒼ざめ、濃く長い睫毛は涙で濡れていた。涙で潤んだ青い瞳は悲しみに沈んでほとんど何も映していないようだったが、ダークたちが傘の礼を言うと軽く頷いた。

▲▽▲

 喪服の女性とメリルの姿が重なり、ダークは思わず叫んだ。
「ああ、そうだった!」
「あ、あの、ごめんなさい。私、よく覚えていなくて……。」
「いや、たいして話をしたわけじゃないから。君は色々と大変だっただろうし、覚えていなくて当然だよ」
 ダークがなだめるように肩を叩くと、メリルはますます赤くなった。
「メリルに傘を返しに行って、よく話すようになったのよ」
 と、締めくくるように言うと、ローズマリーはお茶を飲んだ。

 ダークはふと気づいた。ローズマリーの記憶力は間違いなく正常だ。メリルが遺産狙いということもありそうにない。ローズマリーを迎えに行った時に見たウィンターズ家は、大富豪とはいえなかったが、裕福そうな家だったからだ。すると、遺産というのは、やはりメリルの考えどおり冗談なのか? まわりくどい聞き方は苦手だ。ここは単刀直入に聞くに限る。

「ローズマリー、昨日、メリルに遺産を遺すと言ってなかった?」
「ああ、それね。メリルは本が好きでしょう? だから私の持っている本を全部あげようと思って!」
「まあ!」
 メリルが驚きの声を上げた。
「あんなにたくさんの本を私に?」
「本? ……ローズマリーの本と言ったら、愛や恋がどうのこうのいうタイトルの本ばかりだったような気がするんだけど?」
「ロマンス小説よ! 少しは推理小説もあるわよ」
 ローズマリーは胸を張って言った。
「甥もその子供も男ばかりだし、甥の嫁たちはあまり本を読まないみたいだから、そのままにしていたら、あなたたち処分しちゃうでしょう?」
「うーん、確かに。」
 ダークは家族や従兄弟たちの顔を思い浮かべて頷いた。
「もっとも、まだまだ長生きするつもりだけどね」
 ローズマリーがにっこり微笑んだ。
「よかった! これからも一緒におしゃべりできますね!」
 メリルが安堵のため息をついた。
「君もロマンス小説をよく読むんだ?」
「……ええ。 ローズマリーのコレクションは図書館や町の本屋よりもたくさんあって、よく貸していただいているの」
 ダークは熟れた桃のように真っ赤になったメリルの頬を見て、顔をほころばした。
「君が好きな本なら、きっと面白いんだろうな」

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 ダークがメリルを夕食に連れ出した後、ローズマリーは猫のクピトに話しかけた。
「とりあえず作戦成功ね。素直に私がメリルに紹介しようとしたら、反発するだけだからね、あの子は」

 ローズマリーは、クッションの下から先ほどまで読んでいた本を取り出した。表紙には、男性と女性が肩を寄せ合い仲むつまじく微笑んでいる様子が描かれている。大好きなロマンス小説を読み始め、ローズマリーは満足げにため息をついた。

▲▽▲ Fin ▲▽▲

by おとなし おっと,Greenery Park 2006/12/24発表

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