Greenery Park

5月.ずる休み

HOMETOP

ハント

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 都会の慌しさと騒音から抜け出し、バスは走り続けていた。乗客は十人ほどで、皆、静かに景色を見たり、うたた寝をしたり、本を読んだりしている。

 その中の一人、ハント・タウンゼントは車窓を見るともなく眺めていた。

♪♪♪

 三年前、ピアノ講師をする傍ら手がけたハントの曲が、映画のBGMとして採用された。その映画が大ヒットとなって、ハントはにわかに作曲家、そしてピアニストとして人気が出た。作曲やコンサートの依頼が殺到した。初めのうちは、見るもの全てが新しく刺激的で楽しかった。

 三年後の今、ハントは自分が以前のように曲を作れないことに気がついてしまった。日増しに酷くなる倦怠感、ピアニストとしての腕よりもハントの容姿を誉めそやす周囲に対する怒り、五線譜の上に曲を紡ぎ出すことの出来ない焦り……。

 本当は、今頃、依頼された新しい映画のBGMを作曲しているはずなのだ。だが、この数週間、ワンフレーズも書くことが出来なかった。頭の中は真っ白で、壁がどんどん目の前に迫ってくるような気がした。

 才能の枯渇。その言葉が頭に浮かんだ途端、突然、恐怖が襲い、ハントは頭をかきむしった。「まさか! まだ二十七歳なんだぞ!」ハントは衝動的に部屋を飛び出し、バンクーバーの街をあてどなく歩き回った。

 そして、バス停で最初に目に付いた長距離バスに飛び乗ったのだった。

♪♪♪

 バスがふいに揺れて、窓ガラスに頭がぶつかった。いつの間にか寝てしまっていたらしい。窓の外には、どこか見覚えのある街並みが広がっていた。

「グリーナリーじゃないか!」
 昔、通っていた小学校の赤い尖塔が見え、ハントは声を上げた。

 バンクーバーへ引っ越しした後、一度も戻ったことのない町。無意識のうちに、見覚えのある地名が書かれたバスを選んでしまったのだろうか。

 バスの停留所は大きな公園の前だった。

 公園の木々が記憶にあるものよりもずっと大きいのは、自分の背が伸びた以上に木々が成長したからだろう。

 ハントは記憶に誘われるままに歩き出した。

♪♪♪

 ジュリア・ハドソンは同僚と交替して勤め先の美容院を出て、近くにあるパン屋、キングズ・ベーカリーに入った。キングズ・ベーカリーには軽く食事を取れるスペースがあるのだが、昼どきとあって店内が混んでおり、生憎、席は全部ふさがっていた。こうした時は、天気が許す限り、公園のベンチで食べることにしている。

 ジュリアはツナとトマトのスライス入りのサンドイッチを買うと公園へ向かった。


♪♪♪

 ジュリアがいつも座ることにしている木陰の下のベンチに近づくと、そこには先客がいた。

 綿のシャツとジーンズをはいた細身の男性がうつむき加減で座っている。男性は見事なシルバーブロンドの髪をしていた。流行よりは長めだが見苦しくはない。

「素晴らしい髪だわ。あれは染めたものじゃなさそうね」
 ジュリアは美容師の目で男性を眺めた。

 その視線に気づいた男性が顔を上げてこちらを見た。これまた滅多にないようなアメジスト色の瞳だった。その瞳に見覚えのあるような気がして、ジュリアは記憶を探った。

「あの、僕に何か?」
 男性は少し焦ったように身じろぎをした。
「……あ! その髪と目の色は、小学校の時に一緒だったハント・タウンゼントね!」
「……え?」
 ハントは目を見開いてジュリアの顔を見つめた。落ちてこないように上品にまとめたキャラメル色の髪やはしばみ色の瞳、かすかに散ったそばかすを見て、驚きの声を上げた。
「ひょっとして、ジュリア? ジュリア・ハドソンかい!?」
「そうよ! 久しぶりね!」
「全く! 十年、いや、もっとか。十五年ぶりかな? ここに座りなよ」
 ハントは少し左に移動して開いた部分を軽く叩いた。ジュリアは大人しく腰をかけて、サンドイッチの袋を脇に置いた。
「ハント、ピアニストになったんですって?」
「ああ。運良く映画音楽に使われて、少しは顔と名前が売れたよ」
 照れた様子のハントにジュリアが頷く。
「あなたの音楽は、昔から素敵だったもの」
「そういえば、ピアノを続けてこられたのは君のお陰だな」
「え? 私の?」
「君は覚えていないかもしれないけど、僕はクラスのやつらにピアノなんて女っぽいってからかわれていてさ。もうピアノなんてやめようと思って、レッスンをさぼってここでぼーっとしていたんだ。そうしたら、君がやってきておしゃべりを始めた。『私は美容師になるの。あなたはピアニストになったらいいのに』って」
「なんとなく覚えているわ。私はあの頃、美容師になるって夢見ていたんだったわ」

♪♪♪

 その頃、ジュリアはそばかすだらけの九歳の少女だった。一方、ハントは小柄で線の細い、普段はあまり目立たない大人しい少年だった。

 お転婆なジュリアは毎日男の子たちと走り回って遊んでいたが、ピアノのレッスンのあるハントが仲間に入ることはほとんどなかった。たまに一緒に遊んでも、怪我してしまうような乱暴な遊びには加わらなかった。若い頃、ピアニスト志望だった母親が、ハントに夢を託していて、手を怪我をしないようきつく止めていたからだ。

 ジュリアは前々からハントのことが気になっていたので、ベンチでぽつんと一人で座っているハントを見た時、仲良くなるチャンスだと思って話しかけたのだった。

 自分の容姿が気になり出していたジュリアは、近所の美容師の女性にあこがれ、自分も美容師になりたいと思っていた。しかし、そのことを皆に話したら「お転婆なジュリアには似合わない」と笑われてしまいそうで、それまで誰にも言ったことがなかった。だが、ハントは笑わなかった。


 その後、ハントはジュリアとよく話すようになった。時には、ハントが自分で作った曲をこっそり弾いて聴かせることもあった。ハントと一緒の時間はジュリアにとって特別な時間だった。自分が一番素直になれる心安らぐ時間。それはハントにとっても同様だった。

 数年後、タウンゼント一家はハントの父の転勤により、バンクーバーへ家族そろって引っ越すことになった。

 二人は別々の道を歩き始めた。

 ハントは腕のいいピアノの講師に出会って音楽学校に入り、ピアニストの道を。ジュリアは高校卒業後、専門学校へ入り、美容師の道を。

♪♪♪

「ジュリア、君の夢はかなったかい?」
 ハントが尋ねた。
「ええ。あなたの髪なら特別サービスでカットするわよ」
「それなら、すぐにお願いしようかな。さっぱりしたい気分なんだ」
「まかせて! あら、私、お昼を食べに出てきていたんだったわ。あなたはもう食べた?」
「いや、まだ。……というより、この前、食事をしたのがいつだったのか思い出せないな……」
「食事はちゃんと摂らなくちゃ。これ、半分あげるわ。近くのお店で買ったサンドイッチだけど、ボリュームたっぷりで美味しいのよ」
「ありがとう、なんだか急にお腹が空いてきたよ。遠慮なくもらうよ」


 二人は、十五年前と変わらない特別な時間が戻ってくるのを感じた。

 だが、あの頃の二人とは違う何かもある。

 ハントもジュリアも既に子供ではない。ジュリアよりも背が低かったハントは、誰からも背が低いと言われないだけの身長になった。肩幅も細身なりにしっかりあり、硬い筋肉もついている。星の数ほどあったジュリアのそばかすは、手入れを続けた成果があって、今では金色の星がほんの少し見えるだけになっている。 

 鼓動が体中にいつもよりも速い、だが、心地良い音を響かせている。ハントは鼓動に合わせてリズムを取りだした。やがて、そのリズムは美しく軽快な音色になり、ハントの中で奏でられ始めたのだった。


♪♪♪ Fin ♪♪♪

by おとなし おっと,Greenery Park 2006/05/15発表

 最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
よろしければ、一言で良いので感想をいただけると嬉しいです。
是非、是非、
掲示板かこちらのメールでお願いします!!

 

HOME

Original
TOP

inserted by FC2 system