Greenery Park

4月.見知らぬ街

HOMETOP

ステラ

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 まだ時折、冬の気配が舞い戻ってくる中、街には徐々に春らしい装いの人々が行き交うようになっている。

 公園側のパン屋、キングズ・ベーカリーの喫茶コーナーに一人の若い女性が座っていた。白いブラウスと赤いフレアスカートを身にまとい、その背中は長くつややかな黒髪に覆われている。絵心のある者ならば、卵型の顔に大きな目と筋の通った鼻とふっくらした赤い唇が、若々しい繊細な線を描き出しているのを認めるだろう。そして今、彼女の夜明けの霧のように神秘的な灰色の瞳が、自分の置かれた状況に困惑していることも。

 ステラ・リンドグレンは、今の状況を落ち着いて考えようとしていた。さしあたっての問題は、自分が道に迷っているということだった。屋敷に電話をかけて迎えに来てもらおうにも、電話番号を覚えていない。店の電話帳で調べたのだが、リンドグレン屋敷は電話番号を載せていなかった。会社と工場の方は載っていたのだが、仕事中のエドワードを呼び出すことはためらわれる。ただでさえ子供っぽいと思われている節があるのに、更に迷子になったと知ったら呆れられてしまうだろう。タクシーを呼んだら、運転手はリンドグレン屋敷の場所を知っているだろうか……?
 しばらくの間忘れていた孤独がステラにのしかかってきた。

 ステラは、暖かいパンとお替り自由の紅茶を味わいながら、高校卒業直前に両親が交通事故で亡くなってからの日々をぼんやりと思い起こした。
 高校はなんとか卒業したものの、予定していた美術学校への進学は不可能となった。ステラの両親は、二人共、才能ある画家だったのだが、財産を残せるような成功を収めることは出来なかったからだ。

 その後、二年半の間、ステラは自分が天涯孤独だと思っていた。……わずか一週間前までは。

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 一週間前、田舎町の雑貨屋の店員として働くステラの前に一人の男性が現れた。

 強(こわ)そうな短い黒髪に荒削りな顔。濃紺の鋭い眼差しと険しい表情は、その心の奥底までは入り込めない印象を周りの人々に与える。年齢は三十代半ばだろう。映画俳優のようなハンサムとはお世辞にもいえないが、魅力がないわけではなく、がっしりとした体付きと相まって、圧倒されるような威圧感と迫力があった。

 その男性、エドワード・ジョンストンは、前置きも無く切り出した。
「お祖父様があなたに会いたがっています」
 おまけに余計なことは言わない性質らしい。

 ステラの祖父アンガス・リンドグレンの興したリンドグレン製菓会社は、メイプル・クッキーで有名な会社だ。父親の好物だったので、ステラもそのクッキーはよく口にした。会社の名前が自分達の名字と同じだということには気付いていたが、その頃は、まさか関係があるとは思ってもみなかった。

 二十数年前、画家を目指していたステラの父ロバートは、自分の跡を継がせようという父親と激しく対立した。ロバートが家出同然に町を飛び出したため、アンガスは一人息子をとうとう勘当してしまった。
 その後、ロバートはステラの母メアリーと出会って結婚し、一年後にステラが生まれることになる。この時に一度だけ、ロバートが手紙を出した。
 だが、アンガスの怒りは和らぐどころか、息子が自分に知らせもせずに結婚していたということで更に怒りが募った。もし、アンガスの妻のエリザベスが生きていたのなら、二人の仲をとりなしたかもしれないが、あいにくとエリザベスはロバートが子供の頃に亡くなっていた。結局、アンガスは返事を出さなかったため、それ以後、ロバートからの連絡は途絶えてしまった。

 一ヶ月前、アンガスは心臓の発作で倒れ、病院に担ぎ込まれた。安静を保つという条件で退院を許されたアンガスは、生きているうちにロバートと和解しようと、慌てて一家の行方を捜すことにした。ステラを見つけるのに一ヶ月もかかったのは、ステラの両親が情熱を傾けて描くことの出来る対象を求めて引越しを繰り返したため、一家の跡を追うのが大変だったからだった。

 ステラはエドワードとともに、祖父の住む見知らぬ街グリーナリーへと向かった。
「二年半、遅かったのね」
 気付かぬうちに大粒の涙がステラの頬を伝う。エドワードは腕を伸ばしてティッシュを取るとステラに握らせた。その途端、ステラの中で何かがはじけ激しく泣き出した。エドワードは車を道の端に寄せて停めると、何も言わずにステラを抱き寄せた。ステラはエドワードにしがみつくと声を上げて思う存分泣いた。再び会うことの出来なかった父と祖父のために。二年半の孤独な時間に。

 泣き声が次第に小さな嗚咽に変わっていく。ようやく泣き止んだステラはティッシュで顔をぬぐった。
「ご、ごめんなさい。子供みたいに泣いてしまって……。親切にしてくれてありがとう」
「いや」
「あなたのシャツを濡らしてしまったわね」
「いいんだ、すぐに乾くから」
 エドワードはステラから名残おしそうに腕を離し、静かに運転を再開した。

 ステラのリンドグレン屋敷に対する第一印象は、なんて大きく陰気な館だろうというものだった。到着した時のステラの心理状態の所為かもしれない。

 自宅療養中のアンガス・リンドグレンは、二階の主寝室のベッドで横になっていた。

「エド、連れて来てくれたのか?」
「はい。こちらがミス・ステラ・リンドグレンです」
 ステラがエドワードに促されて部屋の奥へ進むと、アンガスは細面のやつれた顔を向けた。濃い金色だったらしい髪はほとんど白髪となり生え際が後退して額が広くなっている。だが、ステラの父親が生きていたら二十年後にはこうなっただろうという顔だ。アンガスはステラを食い入るように見ると、震える声で言った。
「あまりロバートには似とらんな。が、目はリンドグレンの目だ。」
 ステラとそっくりの灰色の瞳はかすかに潤んでいた。

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 アンガスとステラは、二十年間の空白を埋め合わせるように急速に仲良くなっていった。屋敷の使用人の中には、ロバートの子供の頃を覚えている者もいて、胸が温かくなるようなほのぼのとした思い出話を聞くことも出来た。最初は陰気に思えた屋敷も、ステラが庭で摘んだ花を飾ると見違えるように明るくなった。

 屋敷にいて気がかりなことが一つだけある。エドワードのことだ。

 エドワードの祖父ジェイムズ・ジョンストンは、生前、リンドグレン製菓会社で工場長をしていた。ジェイムズもアンガスも早くに連れあいをなくしたので、お互いに気心が通じ、家族ぐるみの付き合いをすることになった。ジェイムズが亡くなってからもそれは変わらなかった。十五年ほど前、離婚したエドワードの両親がどちらも大きな息子を手元に置きたがらないことがわかると、アンガスは後見人としてエドワードの面倒をみることにした。エドワードはその期待に応えて、大学を卒業すると懸命に働き、三十歳になる頃には、工場長として誰もが認めるようになった。そして、アンガスが倒れてからは社長代理をも任されている。

 これは後から知ったことだが、エドワードはアンガスのたっての願いにより、忙しい仕事の合間を縫って、自らステラを捜し出し迎えに来てくれたのだった。

 エドワードは、会社の近くにアパートメントを持っているのだが、夕食の時間になるとリンドグレン屋敷にやって来て、食事前に祖父に仕事の報告をする。彼のステラに対する態度は、礼儀正しく丁重だった。だが、会話の方は挨拶の域を出なかった。「お仕事は忙しいんですか?」というステラの問いには「ああ」、「何か手伝えることはありませんか?」には「ない。大丈夫だ」という具合である。食事中、アンガスとステラが和やかに話していても、エドワードは口を挟もうとせずに、無表情な顔でじっと2人を見つめている。

 それがエドワード本来の寡黙な性格によるものなのか、それとも自分が疎まれているからなのかと、ステラは思い悩んだ。そして、車の中での優しいエドワードを思い出すたびに、もっと仲良くなれたならと願った。

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 今日の昼食の後、ステラは屋敷ですることを何も思いつけなかった。祖父は昼寝をするように医者から厳命されている。家事の手伝いなどは使用人がさせてくれない。久しぶりに絵でも描こうかと思ったが、屋敷に残っていた父の絵の道具に手をつける気にはなれなかった。読書をするにも、屋敷の書斎には小説の類が全くなく、あるのは百科事典と食品産業の経営に関するお堅い本ばかりだ。

 そこで、ステラは本屋に行くと家政婦に伝えて屋敷を抜け出した。

 しばらくの間は、のんびりと散策を楽しんでいた。本屋で小説を数冊買った後、画材店を見つけてスケッチブックやコンテを買ったり、ブティックでウィンドウショッピングをしたり、広い公園で池や噴水や散歩をする人々を眺めながら歩き回ったりした。

 だが、公園を出ると方向感覚を失っていた。公園付近の道は思ったほど真っ直ぐではなかったらしい。こちらと思う方向に歩き出したのだが、再び公園に出てしまった。細い小道に入っては全く知らない場所に出て公園まで戻るということを何度か繰り返し、ついに、すっかり道に迷っていると認めないわけにはいかなくなった。

 屋敷を出てからそろそろ四時間になる。ステラは急に肌寒くなったように感じた。本と画材の詰まった紙袋の持ち手は、先ほどから耐え難いほど手の平に食い込んできている。その後、しばらく公園の外周を歩いた後、やっと見つけた暖かそうなパン屋――キングズ・ベーカリー――に入り込んだのだった。

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 ステラはパン屋の窓から道行く人々を見るともなしに眺めていた。すると、見覚えのあるスーツ姿の男性がガラス越しにステラの顔を覗きこんだ。いつもより一層険しい顔をしたエドワードだった。エドワードがドアを勢いよく開けて店に入ると、ドアの上のベルが抗議するようにやかましく鳴る。

「一体、今までどこに、うわっ!」
 ステラは知っている人に会った安心感と嬉しさから、席を立つと真っ直ぐにエドワードの胸に飛び込んでいった。
「よかった! あなたに会えて!!」
「……道に迷ったのか?」
エドワードがステラの肩にそっと手を置く。
「ええ。タクシーを呼んで帰ろうかと考えていたところだったの。……あなたはどうしてここに?」
「アンガスが心配して会社に電話をかけてきたんだ。お茶の時間を過ぎても戻らないと。」
「まあ! それで探してくれたの?」
「ああ。君が行きそうなところを見て回っていたら、たまたま君の黒髪が目に入ったんだ。迷ったのなら会社に電話をしてくればよかったのに。」
「そうしようかと考えたけど、あなたにますます嫌われるかと思って。」
ステラがうつむいた。
「君を嫌う?」
「あなたはいつもあまり話をしてくれないから、私の相手をするのが嫌なのかなって思っていたの。」
「そんなことはない!」
 エドワードの強い口調にステラが顔を上げる。
「ステラ、僕は君にどう接していいかわからなかっただけなんだ。君が一人で苦労している間、君のお祖父さんの側でぬくぬくと暮らしていたんだからね。それにいい年をして嫉妬を感じてもいた。アンガスと物怖じせずにすぐに打ち解けた君に。君と楽しそうに話すアンガスや他の人たちにも。」
「私も嫉妬したわ。あなたとお祖父様とお仕事に。二人共、お仕事の話をする時はとても話が弾んでいるんだもの。それから、あなたと仲良くなれたらなあって思っていたの。エド、私と友達になってくれる?」
「友達……か。まずはそこからだな。」
 エドワードは肩をすくめ大きく息を吐いた。
「今、美術館で印象派の展覧会をやっているらしいんだが、今度の休みに一緒に行かないか?」
「行きたいわ! ありがとう、エド!」
 ステラはエドワードに更に抱きついた。
「……前にもこんなことがあったな」
「ここに来る車の中で……。私、あなたに抱きついてばかりだわ。癖になりそうね」
「こんな癖なら大歓迎だ。……ただし、もっと人のいない所でね」

 好奇心と暖かさの微妙に入り混じった視線が二人に集まっていた。ロマンスの始まりを本や映画ではなく生で、しかも、パン屋で目の当たりにしているのだから、それも当然と言える。ステラとエドワードは照れくさそうに微笑みを交わした。

 やわらかい春の夕暮れの中、見知らぬ街が少し優しくなった。

■□■ Fin ■□■

by おとなし おっと,Greenery Park 2005/04/15発表,2006/05/15修正

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